ピアノ楽譜コーナーへ行くと同じ曲でもいくつかの楽譜が並んでいて、どれにするのか長時間迷われる方もいらっしゃると思います。
趣味のピアノでも専門的に学ぶ人でも、ピアノでは「楽譜を選ぶ」という楽譜の選択は重要なことです。このページでは、楽譜を選ぶ時に参考になる基本ポイントを考えてみましょう。
具体的な楽譜選びのページは、現在近代フランス物の版選びでドビュッシーの楽譜選びを紹介しています。
原典版と校訂版
楽譜選びのポイントの前に、楽譜ではよく原典版や校訂版、あるいは実用版や標準版といった言葉も使われることがあると思います。
これらはいったいどういった意味でしょうか。
原典版(urtext edition)とは、「作曲者が当時作曲して出版した楽譜そのまま」や「自筆譜に忠実な楽譜」と思っている方も多いかもしれませんが、そう単純な事情ではない場合も多いものです。
作曲者によっては作曲して出版してから何度も書き直したり、自ら生徒にレッスンする時に書き加えたり削ったりと、どんどん加筆修正していく場合もありますし、最初の自筆譜で書きミスをしていることもあります。
また、作曲者の契約していた同時に2つ以上の出版社から発売された楽譜が、既に少し異なる部分もあることもあり、初版の楽譜に作曲者が訂正を加えて出版された後の版の方がより信頼性があるなど、事情は様々で後世の私達を悩ませます(つまり、初版は楽譜出版社や作曲者自身のミスがある場合もあり、初版=原典版ではありません)。
そうした多くの情報や資料等を研究してまとめて、現段階では作曲者が作曲した音楽は最終的にはこうだっただろうという楽譜をつくりあげたのが、原典版ということになります。ですから、古い図書館や個人の資料所蔵家などから新しい資料などが見つかった場合などは、それらも含めてさらに楽譜が研究される場合もあるので、原典版も年々進化していくことになります。
原典版は作曲者の意図を最大限に尊重しますが、当然ですが出版社や編纂者や研究者などの考え方によって、どの版を底本(自筆譜、初版、さらに作曲者自身が生きている間に出版された初版以外の版など)とするのかも微妙に違ってきますので、原典版として出版されている楽譜も少しずつ音などが異なることがあります。
しかし、原則として校訂者などがスラーやスタッカート、クレッシェンドやフォルテfなどのデュナーミクを勝手に書き入れることはしません。
指使いは、作曲者が書き入れたものは当然残し、演奏者が実際に使いやすい指使いを作曲者の書き入れたものと字体などで区別して入れている場合もあります(このあたりは、楽譜に出版社の編纂方針によっても異なることもあるでしょう)。
また、注解や校訂報告などの資料がついている場合も多くあります。
代表的な原典版としては、お馴染みのヘンレ社原典版の他にも、ウィーン原典版・ペータース社原典版・ベーレンライター原典版などがありますが、作曲家によってはこれら以外の多くの原典版もあり、また日本の全音楽譜出版社や音楽之友社からも作曲家や曲によっては原典版が出ています。
ここまでの原典版についておおまかな説明をしましたが、少し注意したいのは、過剰に自筆譜を重要視して「この社の原典版は自筆譜に書いてあるのと違う」などと主張する人もいることです。
既に述べたように自筆譜は重要資料ではありますが決定版は無いわけですが、さらに、筆やペンで書かれた昔の作曲家の自筆譜はどちらの音にもとれるような音、シャープなのかナチュラルなのか判別が困難音、あいまいなスラーのはじまりや終わり、アクセントなのかディミヌエンドなのかわかりにくい書き方などがたくさん存在しています。
それらを読みやすくして出版するのも現代の出版社の役割ですから、自筆譜を違う箇所があって当然ですし、自筆譜以降に作曲家が手直しした部分も加味して考えるのは既に述べたとおりです。
ですから自筆譜を見てみることは参考の一つにはなりますが、何が何でも再優先されるとは限らないことをふまえておく必要もあります。
校訂版とは、研究者やピアニストなどの専門化が実際に演奏しやすいように、また演奏効果が出やすいように、スラーなどのフレージング、フォルテfやピアノp、クレッシェンドなどのデュナーミク、ペダルの指示なども書き加えた楽譜で、校訂者の名前が書かれています。
また、校訂者の主観的な意見を入れ込むというよりも、フレーズの統一やペダルの入れ方と指使いなどの校訂と補足程度の校訂にしている版も多くあります。
出版社によっては実用版といった言葉もあると思いますが、校訂版とほぼ同じ意味だと思っていいでしょう。
こうした校訂版も、出版社や校訂者によって考え方も様々ですから、当然ですが質も異なります。
昔から出版されている伝統的な標準版に指使いを書き足しただけのような楽譜もありますが、最近の校訂版や実用版では、原典版を尊重してつくられる場合も多く、校訂者による書き込みを別字体やカッコ表示や色で区別して、校訂版でありながら原典版としての役割もあるような楽譜(当サイトではこのような楽譜を「原典+校訂版」とします)といった、質の高い楽譜も多くなってきています。
標準版といった言葉もあります。これも明確な定義があるわけでもないと思いますが、日本ではヨーロッパで昔から伝統的に出版されていた楽譜(昔の出版社のスラーなどの校訂が多い場合も)を、そのままコピーしたような楽譜に日本語訳の曲名や目次をつけた楽譜を、標準版と言ってきたように思います。そうした事情から低価格なのも特徴の一つでしょう。
ただし、最近は標準版と言っても、多くの資料を集めて研究を重ねてつくった、しっかりとした版もあります。
楽譜選択の基本的な考え方
このように、一口に楽譜といっても様々なものがあるので、選択の幅が広い反面、迷う方も多いと思いますが、もう既にかなり昔に亡くなっている作曲家の場合には、残したものは基本的には楽譜のみであり、それが作曲者の音楽の根本ということになります。
つまり、校訂者のいろいろな参考意見的なフレージングやデュナーミクなどの入った楽譜のみを使っていると、作曲者の残した音楽を知る前に、それらの後から別人が付け足した情報に目が奪われてしまう可能性が大きくなるのです。
ですから、ピアノではどんな作曲家を弾く時でも、選択肢の第一は原典版 または 原典版などを元にして校訂者の意見などは別色や別字体、カッコなどで区別した書かれた校訂版(当サイトではこのような楽譜を「原典+校訂版」とします) と思った方がいいでしょう。(さらに日本語版になっているものが私達にはうれしいのは当然です)。
例えば、ベートーベン自身が書いたクレッシェンドと、校訂者が後から入れたクレッシェンドが、区別がつかないように書かれているような楽譜は、基本的にはあまり良くないことになります。
また、同じ出版社のものでも作曲家や本によってかなり違いがあるので、出版社で決めるわけではありません。
そして、それらの原典版や原典+校訂版の楽譜を既に持っているなら、同じ曲でもたくさん参考の入った校訂版や伝統的な標準版を買い足してみるのも、演奏の手助けや参考になると思います。
そこに、楽譜の本としての見やすさや使いかどうかいったことも、選択の重要な要素になってくるでしょう。
例えば紙の色は真っ白が見やすいのか、それとも少しクリーム系の紙が見やすいのか、同じ曲でも楽譜のレイアウトが異なると、ある版では4ページ曲が他の版では5ページだったり6ページということもあります。
これらは、楽譜の内容の信頼性そのものよりは重要視しない方も多いかもしれませんが、実際に同じ曲を各版で見比べてみるとそこから受ける印象というのはかなり違うものです。
具体的な版の選び方に関しては、近代フランス物の版選びでドビュッシーの楽譜選びを解説しています。
他の作曲家に関しても、別ページを設けて今後随時掲載していく予定です。
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