ドビュッシーやラヴェルなどの近現代時代のピアノ作品のCDを中心に紹介しています。
CDレビューは近現代(当ページ)と古典・ロマン・ピアノ協奏曲の4ページに分けて見やすくしました。
ワルター・ギーゼキング 現代の先駆けのドビュッシー
ドビュッシー:前奏曲集
20世紀の巨匠ピアニストのワルター・ギーゼキングによるドビュッシー「前奏曲集1巻と2巻」です。
ギーゼキングというとモーツァルトなども得意としていたピアニストですが、ドビュッシーも得意レパートリーとしていたことで有名です。
そのドビュッシーの演奏は、よくありがちなフワフワとした音色にならずに、また余計な感情などは入れずに全体的にキリリと引き締まった演奏で、現代のドビュッシー演奏の先駆けともいえるような高度な演奏になっています。
それは単に楽譜どおりに弾いていて冷たくなったり、頭で考えただけの退屈な演奏になるのは全く異なり、シンプル且つ奥深い音楽と言えるでしょう。
ただし録音年代が幾分古いので、現代の新しい録音によるクリアな再生音を楽しみたい方には向いていないかもしれません。(2009-12-04)
ポール・クロスリー 頭脳的(?)なドビッシー
ドビュッシー : ピアノ独奏曲全集 第4巻フランスピアノ音楽の多く弾く事で有名なクロスリーによるドビッシーピアノ曲集の4巻には、「ベルガマスク組曲」や「ピアノのために」「2つのアラベスク」といったお馴染みの曲が収録されていて、その頭脳的といわれる解釈と演奏には定評がある。
しかし、ベロフやロジェやティボーデといったフランスピアノ音楽の名手達の演奏を聴いてしまっている人にとって、このクロスリーのドビッシーはどう聴こえるだろう。おそらくイメージとはかなり異なるはずだ。なんといっても、楽譜を忠実に再現してように、「ここはクレッシェンドで、ここでラレンタンド、ここはスタッカート」というように、聴いていて明らかにわかるようなピアノ演奏。
そういう弾き方が悪いわけではないし、学習者の見本にはなるのかもしれないが、「こうやって弾くのですよ」と言っているようなお説教のようでもある。やはり音楽が進む力を感じられない演奏は、聴いていて苦しい。
録音は悪くないので、参考演奏として聴く人にはいいのかもしれない。
ミシェル・ベロフ 凄さ再実感
ドビュッシー:ピアノ作品全集-4
ドビッシーの録音ものは多いので、CDショップなどの店頭でもどれを選んでいいか迷ってしまうかもしれなが、そんな時は間違いなくこのミシェル ベロフをお薦めしたい。
なんといってもその技巧の余裕からくるスピード感とリズムのシャープさと力感が、聴くものを圧倒する。版画の「雨の庭」などをゆっくりと弾くピアニストが時々いるが、ベロフはそんなお説教のようなことはしないで、持ち味の切れのあるテクニックを生かして一気に弾ききっている。
しかし決して乱暴になったりはしていない。細かな点にも十分な配慮がされていて、粗野な印象は全く無い。
実はこの録音の以前の若い頃の録音も素晴らしかった。これはそれ以後に一度演奏活動を休止したあと活動を再開してからの録音だが、もちろん技術的には全く不安はない。表現という点でも大きく変わったような感じもしないが、ピアノの能力を最大限に生かしているような気がする。
録音の質という点でも、同じベロフの旧盤に比べてこちらの方が良いような感じがするので、旧盤をすでに持っている人にもおすすめ。ドビッシーピアノ演奏決定版は、いまのところこのベロフのほかには見当たらない。
フランソワ 粋なラベル
ラヴェル:ピアノ全集(2)
フランスの名ピアニスト、サンソン フランソワ。彼の演奏には一種独特な自由奔放さのようなものがあり、亡くなってかなり時が経つが多くのファンに愛されている。
その彼が得意としていたレパートリーは、ショパンと共にこのラベルやドビュッシーといった、いわゆるフランスもので、このラヴェルピアノ全集の録音のラベルでも彼らしいちょっとお洒落なニュアンスをつけらラベルが聴ける。
特徴というと、やはりテンポや音のバランスなどの自在な変化。録音ものは何度も聴かれることを前提をしているので、普通はこういったことをしないピアニストが多いが、そういったことはまるで関係ないようなピアニズム。「クープランの墓」のプレリュードなどは、キラキラとした演奏の中に繊細なちょっとしたフランソワらしさがあって心地よい。
だが、現在の一流ピアニスト達の技術力と比べると、見劣りすることは否めない。「夜のガスパール」は、数多くの曲が存在する中でも難曲中の難曲で知られているが、とくに第3曲のスカルボなどは、フランソワには厳しい感じがどうしてもしてしまう。
同じことが「クープランの墓」の終曲のトッカータにも言えて、テンポも遅く感じるし、キレもない。また、この曲中で彼はラの音が連続する小節で、1小節短く演奏してしまっている。そのまま発売されているが、それもフランソワらしいということだろうか。